心と創造 体 斧原功和

飛びかたも様々だな〜

だれにも ないしょ。

パウル・クレー
だれにも ないしょ。
2015
兵庫県立美術館

1918年《子ども》の目
《いにしえの庭に生い茂る》1919年も
子どもの目が見ていて感じてる庭の よう
人と自然の中間に静か 輝く庭
オルフェウスの庭》にも目と体 おどろく

《アクセントのある風景》目元や太陽に植物
意識の下 想像する葉っぱや枝がひらひら また子ども も
《光にさらされた葉》は光合成って どうなっているんだろう 想い
《花ひらく木をめぐる抽象》も 花ひらいていく
しくみ内側から あらわすような 気


ハイアートのhardな流れからは離れた異界 祭り
未完成であったり できそこないの状態の価値や やわらかさ
芸術の太初に線でも子どもそのものでも
近づいていき ほほえむ。
《役者としての子どもたち》に
バウハウス展のための絵葉書「愉快な側面」》
《人形劇場》
子どもらが作り 見つめる 動物らと交ざる 愉快

《尊大》《脅威と逃亡》《洋梨礼讃》
内にある中心や力、魔法に
注意することも必要だったと 歴史の 天使
《カブトムシ》君なら どう筋をほぐす
《ポップとロックのたたかい》はどんな本ひらく


色彩だろうか
《薄明かり》を美しいと感じるのはどこから
遠かったり近かったりする記憶とうっすらムクムク
呼応するのか
クシで髪をとく少女のこころ 声とは


多声楽

見えるようにする 聞こえるようにもする。
5感が日々とらえることとは 少しズレて
層をなしながら 線の旅を行い
色をポッポッと光らせ光らせ
1枚1枚がしあがっていく。

音楽や映画といった時間芸術からも
建て物ら といった空間芸術からも
クレーはズレていく 創造の大元へと
折れ曲がってもいく

クレーさんの日記
ポリフォニー絵画は、音楽より優れている。
そこでは、時間的なものは空間的である
からなのだ。同時性という概念が、
ここでははるかに豊かにあらわれている」

《力動的・多声的な一群》(1931)は
見えないけど わかることできた
多次元の宇宙のなりたちのよう


《島》と《赤のフーガ》《プルンのモザイク》で長いあいだ

あざやかに
小さな あかりをともすように
はじまりの物語 再スタートくりかえし
重なりあいつつ 光 離れてて また出会う 面白さ
 どの声も音、物音も 意味があり 対等
 ゆえに 落ち着く。
大きな何か そもそもにもささげ
色たち 丁寧な形でお祝いする
一筆で描くことで 確かにそこに生命を宿し
誰にもに開かれている カラフルな ishi たちが
さまざまなアタマや細胞の扉 観る者にひらく

《島》と《赤のフーガ》《プルンのモザイク》で長いあいだを


《三重唱》はクレーさんの時空ではこんなで
《「三人」で遊ぶ》は近所で見かけてるようで とっても楽しい。

《ボールに乗る子ども》

子どもはしてることを楽しんでるから
みてる私も楽しく。


「この世で僕を捉まえることはできない
僕は死者たちのもとに
そして未だ生まれていない者たちのもとに
住んでいるのだから
常の世よりいくぶんか、創造の核心に近づいた
それでも、十分近いというには程遠い」
1920年 クレー

時代とも直線だけの流れとも
ズレながら
諸感覚がこうむる刺激(時に過剰)も
ズラしながら
大胆にも率直にも
一枚絵 と してしまったりするクレー
バックヤードも含めた
その
舞台的 劇場内的 古い地図的
コスモロジ
記号 コンステラティオ
その星では
その星での いとなみは ね

《上昇》《束縛》《三人のアラビア人》《窓辺の少女》《墓地》
《窓のあるコンポジション》《舞台稽古》《人形劇場》《魔法劇場》
《山のカーニヴァル》《小道具の静物》
《都市の境界》《ピラミッド》
《彼女は吠え、僕らは遊ぶ》《子どもの胸像》
《鳥=島》
《星の天使》


星からのメッセージをキャッチする
19年前からも
子どもや天使らの顔からも

クレーのないしょ
中間の世界をそっと見えるように は
やはり面白い
ひみつ

「‥未だ生まれざる者と死者の国、来ることができ、
来たいと思っているのだが、
しかし来なければならない筋合いはない者たちの国、
つまり中間の世界、少なくとも僕にとっては中間の世界。
そう呼ぶわけは、人間の五感が
外的に捉えることのできる世界の隙間に、僕はその世界を
感じ取るから‥」


まだ少おし向こう側
ちょっと待機も
中間世界でニコリとして
色々わかれずに生きてたりする
子どもや天使 兄弟 僕ら ユニーク

《腰かける子ども》
《子どもの胸像》
《天使、まだ手探りをする》
《彼女は吠え、僕らは遊ぶ》
《むしろ鳥》


震災の次の年
1996年 大阪大丸 パウル・クレー展で 見つめた 天使
《天使、まだ手探りをする》
《天使、まだ手探りしている》
これから この地上にて 何を しよう 。